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励ましという贈り物

妻が戸を開けるなり「分蜂してる!」と言いました。養蜂家なら聞きたくない知らせです。外に出てみると、数千匹のミツバチが巣箱から高い松の木に飛んで行くのが見えました。もう戻ってはきません。分蜂の兆しを読み誤りました。1週間以上の嵐で勘が狂ったのです。嵐が去った朝、ハチは飛び立ちました。新しく健康な巣です。ハチたちは巣が手狭になったので、ニつに分かれて別の群れを作ったのです。熟練の養蜂家は「誰にでもあることだから」と、落胆する私に明るく声を掛けてくれました。

見捨てられた人の信仰

トンガの10代の生徒たちが、1965年6月、島から脱出しようと海に出ました。しかし、初日の夜に嵐に遭い、船のマストもかじも折れました。水も食料も無く漂流し、無人のアタ島に漂着しました。

一歩一歩

メンバー3人が1組で走る「三人四脚」競技に12チームが参加しました。真ん中の人と左右の人の足が、足首と膝で縛られゴールを目指します。スタートの合図と共に飛び出したほとんどのチームが転倒し、必死に立ち上がろうとしました。歩かずに飛び跳ねていくチームや、あきらめるチームもありました。しかし、たった1組、スタートは遅れましたが、脚運びを確認し、声を掛け合いながら歩くチームがありました。転びそうになっても前進し、やがて、他の全チームを抜いていきました。一歩一歩、協力し合うことで共にゴールしました。

話しかける神

知らない番号からの電話を、通常どおり留守番電話に切り替わるままにせず、出てしまいました。すると、電話の主は聖書の一節を伝えてもよいかと丁寧に尋ねました。そして、黙示録21章3-5節を読んで、神があなたの目から涙をことごとくぬぐってくださると言い、イエスが私たちの保証であり希望だと話しました。私もイエスを信じていると伝えると、彼は伝道目的ではないので、一緒に祈ろうと言いました。そして、神の力と励ましが私の上にあるように祈ってくれました。

励ましの水

それを私は「緑の奇跡」と呼んでいます。もう15年以上、毎春、現れます。我が家の庭は冬の間にすっかり茶色くなるので、通りすがりの人には再起不能に見えます。コロラドの山岳地帯は雪が降りますが、ロッキー山脈の東側の平地は乾燥していて、暖かい季節には度々干ばつの警報が出るほどです。しかし、毎年5月末にスプリンクラーの水をちょろちょろ流し続けると、2週間ほどで芽吹きが始まり、干からびた地は青々とした庭に変化します。

ただ想像するだけ

礼拝賛美で『アイ・キャン・オンリー・イマジン』(ただ想像するだけ)を賛美していると、前の席の女性が、美しいソプラノで合わせてくれました。その人、ルイーズは病気のことを打ち明けてくれ、私たちは彼女の治療のために共に祈ることにしました。

そばに来てかがむ

小さな子の母親が懸命に自転車の練習をする娘の後ろを追いかけていました。子どもはスピードを制御できなくなって自転車は転倒し、女の子は足が痛いと泣き出しました。母親は静かにかがんで膝をつき、痛みが飛んでいくように足をなでました。効果てきめんです。少女は立ち上がって練習を再開しました。私たちの痛みが全て、これほど簡単に消えたらどんなによいでしょう。

生涯の友だち

英国の詩人ウィリアム・クーパー(1731-1800年)は、自分の教会の牧師で元奴隷商人のジョン・ニュートン(1725-1807年)と友だちになりました。クーパーは、不安とうつ症状に悩み、自死を試みたことも一度ではありませんでした。2人は共に散歩し、神について語り合いました。ニュートンは、目的をもって詩を作ることが良い影響になると思い、賛美歌集の作成を思いつきました。クーパーは『かみのみむねはいともくすし』をはじめ、多くの詩を書きました。2人の友情は、ニュートンが別の教会に赴任してからも続き、クーパーが亡くなるまで、頻繁に手紙のやり取りをしました。

ファストフードの畑

ファストフード店で昼食のハンバーガーを口に入れた時、マリアは、少し離れた席の青年に気付きました。汚れた服にボサボサの髪、空っぽの紙コップを握りしめ、空腹に耐えていることは一目瞭然です。何かしたいと思いましたが、現金を渡すのは賢明ではありません。何かを買ってあげたら、恥ずかしいと思わせるかもしれません。